鉄観音 3

自分の発言に毎回嫌気がさすのであれば喋らなければいい。

 

それがわかっているのにどうして喋ってしまうのだろう。

 

眠い。今日はコーヒーを何杯飲んだんだっけ。

 

私は今幸せなはずだ。

 

それなのにどうしていつも不幸になることを願うのか。

 

職場の女性の子供が数日不登校になっているらしい。

 

私と一緒の種類の子供だろうかと思ったら、暮らしは几帳面らしい。

 

なんだ、まともな子供か。それなら安心じゃないか。少なくとも私ほどひどい人間にはならない。よかったね。

 

久し振りにコーラックを飲んだ。

 

水のようなものが出た。意味はあるのかな。でも少しだけ軽くなった。毎日服したいけどそれはよくないらしい。つまらない。

 

私の悪いところを全部排出したい。

 

 

 

鉄観音 2

自分を安っぽくわかったかのように解説するなんて十代の少女のようだが私は四十一歳だ。

 

何度か交際もしたし、不道徳な恋もした。

 

とにかく恋愛体質で求められるとセックスをした。嬉しくてどきどきした。

 

でも、セックスは上手じゃなかった。教えようとしてくれた男性もいたが学ぶ気は無かった。

 

これも病気の一つなのかもしれないが、正解がわからないのだ。

 

セックスだけじゃない。様々なことの形がわからない。作り上げることができない。

子供の時は自分のことがまだそんなにわからずにいたから、勉強にしても絵にしても工作や裁縫にしてもやってみた。

 

しかし何一つできなかった。どうしたらいいのかもわからなかった。そうして歳を重ねるにつれて自分のことを知っていきどれもやらなくなった。挑戦することもなかった。

 

やる気を出せば何でもできる、私や私と同じ人間以外の人たちはそう信じている。

 

自分の力量を知ってしまっている人間はやる気など出せるわけがない。

 

そんな私に軽蔑の眼差しを向けたり呆れたりする人たちは今まで大勢。

 

でもさ、そもそもやる気を出していろいろなことをやってみるのがそんなに正しいことなんだろうか?

 

自分のことを知ってそれなりに過ごしていくことだって間違って無いと思う。

 

そう大きく言いたいけれど、この散らかった部屋を見ると消極的になる。

 

こんな環境いいわけがない。それはわかっている。でもやっぱり……そのままにして布団に入ってしまう。だってやる気がないのだから。

 

 

鉄観音 1

何もできないのは病気なのだと薄々感じてはいたけれど、安くインターネットで調べてみたら余計にそう思うようになった。

 

病院?

 

行くわけないじゃない。だって、そういう病気なんだから。

 

何もできない、何もしない、面倒、やる気がない……そういう病気なのだから。

 

それを突き止めることも面倒で、だから病院なんて行くわけがない。

 

一見、頭が良さそうに見える。そう私のこと。本当はとてつもなく馬鹿なのに、いや違う、とことんまで間抜けで愚かなのに。

 

「頭がいいんですね」と言われると、ああそうなのかもなとも愚かだから一瞬思うのだけれど、いいやそうじゃないよとすぐに心が打ち消してくれる。そういうところが出てきたのは私も少しは成長したのかなと考える。

 

とにかく私は偉そうな喋り方をするのだ。ああ、愚かだ実に愚か。

 

それを頭がいいと表現してくれる人もいるし、なんて嫌な女だろうと思う人もいる。

 

気が小さい私は良くないことを傲慢に口にしてしまって、相手が気を悪くしたことを悟って胸のあたりからもやっとしたものを生み出してしまい目の下の肉がどすんと下がる思いをする。

 

途端に全てをリセットしたくなる。

 

仕事も交友関係も何もかも捨てて中途半端な田舎にでも引っ越して一からやり直したくなる。

 

そういう暮らしを想像して終わるのだけれど。

 

結局何もできないのだ。

 

そう、何もできない、それが私だし直ることもない。